善 友   ともだちいるかな?


皆さん、お友達はたくさんいらっしゃいますか?

その中に親友と呼べる方は何人いらっしゃいますか?

みほとけの教えに「真の友を得るは、悟りを得るが如し」とあります。

そして、真の友のことを「善友:ぜんゆう」と言います。

昔から、「その人を知りたくばその人の友達を見なさい。」とも言いますね。

「類は友を呼ぶ」ということわざもあるぐらいです。

皆さんもご存知のとおり友達はとても大切な存在です。

 

では、真の友達「善友」とはどういう人なのでしょうか?

善友の対になる言葉として悪い友達のことを「痴人:ちにん」と呼びます。

「痴」とは知ろうとしないということです。これは真理を知ろうとしない人のことを意味します。そう、善友は痴人の反対の意味ですから真理を知ろうとする友達を善友と呼ぶのです。

 

さて、皆さんは何のために生きていますか?幸せになるためでしょうか?お金持ちになるためでしょうか?それとも目的がありませんか?

佛教では人間の生きる目的は「悟り」を開くためとされております。

悟りとはこの世の真理を明らかにすることです。

悟りを開くことによりすべての苦しみや悩みから解放されるというとても素敵な特典がついてきます。

一切の苦しみや悩みがなくなるなんて、とても素晴らしい特典だと思いませんか?

生あるものならば老いも若きも富者も貧者もみんな苦しみや悩みを抱えていきています。なぜならば人生は苦しみそのものだからです。

 

悟りは漠然と生きていても得ることはできません。

ましてやお金で買うこともできません。

みほとけが残してくれた教えを聞き、学び、実践することにより初めて得られるものが悟りです。

そして、その悟り開く道を共に歩んでくれる友だちを善友といいます。

 

もう一度聞きます。

皆さんには何人の親友がいますか?

その親友の中に善友は何人いますか?

 

悟りに何も興味を示さず、日々遊びまわり、名誉がほしいので自画自賛をし、徳の高い人を見ては、ねたましく思い、自分より劣った人を見ては高慢になり、金持ちの暮らしを聞いてはあこがれ、貧乏な暮らしを聞いてはおぞましく思う。すぐに腹を立て、我慢をしない。怠けることばかり考えて、少しも努力をしない。
心はいつも乱れ毎日の暮らしのなかで、
知らないうちにたくさんの罪を犯している。こういう痴人と共に居ては悟りの道は遠のくばかりです。

 

人間とは冗談を楽しんでいるうちに年をとり、人に心にもないお世辞や、嘘をいっている間に病となり、むなしく生涯を終えていくものです。

この話は人生に限ったことではありません。

仕事にせよ、友人関係、恋愛、どの世界でも同じことが言えると思います。

 

どうか皆さん、痴人と戯れず善友をお探しください。

善友を見つけることは悟りを得るのと同一の価値があります。

 

蔦が葦を頼りに天高く伸びていくように、善友を頼りとし、また自らが善友となり

真理の道を歩んで頂けることを切に願います。

また、我々も皆さんの善友としてともに精進してまいりたいと思います。