お弁当(子供に餌を与える)

数年前のお話。長男坊がまだ幼稚園に通っていた頃。

 



 

嫁が寝坊したかなんかで私が長男坊のお弁当を作ることになりました。

 



 

いやいやあの時はビックリしましたね。今の時代お弁当作るの5分もかからないんですから。

 



 

お弁当のおかずを冷凍庫から出して裏書読んでいたら、「凍ったまま弁当箱に入れる!?」

 

「ホントですか?」

 

「いいの?」

 

「大丈夫なの?」と一人で自問自答していました。

 



 

いやー 世の中便利になったもんだ。あっという間に弁当が完成しました。

 



 

ご飯入れて凍ったおかず入れるだけだもの。

 



 

しかし、これだけでは味気がないと思い、玉子焼きとタコさんウインナーを焼いて、そっと冷凍おかずのとなりに置かせていただきました。

 



 

料理というのは、やはり手作りが一番ですね。

 



 

冷凍のものをそのままというのは便利かもしれないですが、これって犬猫に与える「餌」と一緒じゃないですかね?

 



 

愛犬家や愛猫家の方に怒られそうですが、スーパーで買ってきたものをそのまま与える。何の手も加えず与えてしまう。

 



 

これ料理じゃなくて「餌」ですよ。

 



 

ここ近年料理をしない親が増えてきているようです。

 



 

しないというよりも、できない。なぜならばその親も、コンビニ弁当やレトルト食品で育ったからです。

 



 

料理をするのは地球上で人間だけです。作るものが、食べる相手を思い浮かべながら作り、食べるほうも作ってくれた人に感謝して食べる。これが料理ではないでしょうか。

 

料理をしない、できないということは人間としての営みができないのですから「動物」と一緒ということとなります。

 



 

ですから、料理をしないでスーパーで買ってきた「餌」を与えるという行為は、親がわが子を「畜生界」に落しいれているのと同じことなんですね。

 



 

この先、いろんな事で子供が苦しむのが目に見えます。

 



 



 

食べることは生物にとってはもっとも「命」にかかわることの一つです。

 

それを軽んじているのは「命」を軽んじているのと一緒です。

 



 



 

皆さんは食べる前に「いただきます。」と言っていますか?

 

この「いただきます。」という言葉は誰に対して言っているかご存知ですか?

 

作ってくれた人?

 

買ってくれた人?


 

これは、「自然界のありとあらゆる生命」に対する感謝と懺悔の言葉です。

 



 

なぜならば、食べるということは「殺す」ことです。

 



 

人間が口にするものはほとんどが、生物です。

 



 

その生物を殺して食べているのです。

 



 

「私が直接、殺したわけじゃないもん。」というかもしれませんが、大勢の「私」が食べることをやめれば「生物」は殺されずにすむのです。

 



 

この世で、変態以外は殺されたい、食べられたいと思う人はいないですよね。

 



 

人間以外の生物だって同じことです。

 

みんな殺されたくないし、食べられたくないのです。

 



 

しかし、私たちが食べることをやめてしまったら、生命活動を終わらせなければいけないのです。

 



 

ですから、自然界のありとあらゆる生命に対して「皆さんの命をいただきます。」と感謝と懺悔をしてありがたく頂いているのです。

 



 

だから、だからです。

 



 

こんなにも、たくさんの「命」の上にたって「生かされている」人間は少しでも多くの善行を、良い行いをして罪滅ぼしをしなくてはいけないのです。

 



 

料理のない家庭には、このような教育もないでしょう。

 

命を軽んじる人間は、いつか自分が「殺される」報いが待っているかもしれません。

 

・・・。

 

弁当ひとつに物凄いムキになってしまいました。

 



 

ちょっと反省。